“てんちょ先生”のひとりごと

現職教員が伝える、現場のあれこれ!

👊🦴“骨折り損”は、本当に損か?

最近、幼稚園児が給食のぶどうを喉に詰まらせて死亡した、というニュースが流れました。

とても悲しいニュースですが、直後から「給食からぶどうをなくす」という動きが多く見られたようです。事故防止にはよいのかとは思いますが、少し極端なような気がします。


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“ぶどうを出さなければ、ぶどうを喉につまらせることはない”ということでしょうが、喉に詰まる恐れのある食べ物はなにもぶどうだけではありません。このニュースを見て「ぶどうも喉に詰まるの?」と驚かれた方もいるのではないでしょうか。

ぶどう以外にも喉に詰まる危険性があると考えると、どの食材を給食に出すか・出さないかの判断は難しくなります。

 

ここで大事なのは“ぶどうを出さない”ことではなく“これを機に、食べ方や噛み方などの指導を再確認する”ことではないでしょうか?

喉に詰まることを恐れて食材を引っ込めていては、正月の餅もおやつのグミもガムも与えられないということになります。

現場が「ぶどう」にだけ注意を払っているとしたら、少し的が外れているようにも感じてしまいます。

 

さて、話しは変わるようですが、近年の運動会では高学年による『組体操』をやらなくなっています。理由は、ご存じの方も多いかと思いますが、組体操の練習中に骨折した児童が多く出た年があったためです。

“そんな危ないことを子どもにやらせたくない”

“児童を危険にあわせるわけにはいかない”

そのような思いや考えがあっての『組体操』自粛(禁止?)かと思われます。

実際に組体操を禁止している自治体・学校もありますし、以前赴任していた自治体では「3段以上には組まないこと」と通達がありました。


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“骨折させないために、組体操をやらない。”

これは、“喉に詰まらせないように、ぶどうを出さない”と同じではないですか?

確かに組体操では、ピラミッドの段などが崩れたときに大きな怪我をする危険性があります。でも、“だから組体操をやらない”というのは少し短絡的では?と私は考えます。

 

組体操の指導を何度もしてきましたが、組体操をやることで身に付くものは、ピラミッドを作るために必要な筋力などではありません。むしろ無理してピラミッドを作る必要はないのです。

大切なのは、“一人では決して表現できないものを、みんなで力を合わせて作り上げること”、逆に“一人でも抜けたら成功できないことから、一人一人の力の偉大さに気づかせること”だと思います。

中には、はっきり言って“教員の自己満足”で『全員ピラミッド』なるものをやろうとする先生や学校もあります。これは学年の児童全員(100人くらい?)でひとつのピラミッドを作るというもの。確かに、成功したときの見た目は壮大かもしれませんが、失敗して崩れたときのリスクはとても高いものがあります。


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そんなことを子どもたちに強いるよりも、子どもたちのできる範囲で(もちろん教育的な成長の伸び代はもたせたうえで)できることをさせるのがよいと思います。

ピラミッドは2段でもいい。人を支え、人に支えられてひとつのものを作る、そこに組体操の大切さがあるのだと思っています。


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骨が折れてもいい、とは思っていません。

でも、骨折をさせないために組体操を諦めるには、得難いものも得られなくなる、と考えています。

タイトルにも書いた“骨折り損”という言葉。

文字通り骨を折るのではなく、意味の通り“骨を折る=大変な苦労や努力をする”ことは、大人の判断でなくしてはいけないのではないか、と思います。

ましてや“うちの学校で怪我人が出て、ニュースにでもなったら”と自分の身だけを心配しているような管理職の判断では…。

 

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🚽トイレそうじ、させてますか?

いきなり本題。

みなさんの勤めている・お子さんが通っている学校に「トイレそうじ」はありますか?

私が小学生のときに通っていた学校では、そうじ当番表に「トイレそうじ」がありました。

蛇口にホースを取り付け、便器やら床やらをまず濡らす。柄付きたわしで便器をこする。最後に床一面にバケツの水を撒く!

週末(金曜日)には“サンポール”とかいう洗剤を使えて嬉しかったなぁ♪

そうじ中は当番以外は誰も入れない“聖域”感もまた子どもながらに嬉しかったりして。f:id:tencho-sensei:20200926110225j:image

最近ではトイレそうじは、衛生面での問題もあったり、やや“懲罰的”なイメージもあったりするのかもしれませんね。(罰としてトイレそうじをさせるなんて、いつの話だったでしょう)

それと、家庭でも“スタンプ型”や“据え置き型”のトイレ洗剤が多く使われていますから、柄付きたわしで…なんて減っているのでしょうかね。

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最近は、トイレをはじめ校内施設の清掃は“用務主事さん”にお任せの学校が増えてきました。トイレ・流し・廊下・昇降口…いろんなところをそうじしてくれています。が、そのことを知らないでいる児童も少なくありません。これも問題ですよね。

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さて、子どもがトイレそうじから離れていくとともに、“トイレを汚す”児童が増えてきたと感じるのは私だけでしょうか?

おしっこを(故意かは別にして)便器の外にこぼす。便座や蓋の上に乗る。鍵をかけた個室の壁をよじ登って密室を作る…など。

明らかにトイレでのいたずら等が増えた気がします。

また、トイレで(女子の場合の多くは個室で)隠し事や内緒話をする光景も増えました。

“トイレ=汚い・人から見えない”などのイメージが強くなり、トイレに長居する子には何かしら悩みや問題があるということもよくありました。

トイレそうじを子どもがしていた時代にはなかった光景です。

私個人としては、トイレそうじをするメリットはあるのかな、と思います。自分がそうじしたトイレは、汚したくない・汚されたくない→トイレを汚さなくなる。今や、便器の外にこぼしてしまったら、即担任に報告→主事室に内線してそうじを依頼、という流れが定着してしまっています。(私は自分で、もしくは当該児童にそうじさせます)

ちなみに(残念ながら)“嘔吐処理”は完全にこの流れが定着してしまっています。

 

このあたりにも、教育現場の“サービス化”が染み付いてしまっているような気がします。

自分のことは自分で、後始末も自分で、汚い仕事もやる、嫌なら汚さない…

トイレをきれいにすること以上に、トイレそうじにはある意味教育効果があるのではないでしょうか?

 

せめて、うちの子にはトイレそうじを教えよう!と思います。

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💪🧠体育会系の脳ミソ

※この記事はフィクション……ではありませんが、私の強い偏見・思い込みが多々含まれています。「それは間違ってる!」「なんてひどい言い方だ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そこはご寛恕願います。

今まで経験してきた学校、そして出会ってきた同僚・管理職の中で“こりゃ変だぁ”と思うと、決まって「体育会系」だったということが多々ありました。
現任校の校長はまさにそうです。
「オレは、自分の好きな“熱いヤツら”を引っ張ってきて集めてるんだ」と豪語していました。
“熱いヤツ”とはどういう人かというと、
「残業崇拝主義」
(定時で帰るなんてもってのほかだぜ!)
・「子どもへの指導が文字通り熱く、たいてい子どもに対して『君たち』と呼ぶ」
・「常にジャージか運動着を着て働いている」
・「お気に入りのブランド(NIKEadidasなど)やサッカーチームがある」(そしてそれらのユニフォームを必ず着ている)
・「学校対抗の教員スポーツでやけに張り切る」(教員スポーツは勤務時間外。仕事そっちのけでスポーツします)
・「飲み会出席は必須!仲良くなりたいなら参加しようぜ!」(古き“飲みニケーション”)
・「口癖が『1人はみんなのために、みんなは1人のために(All for One, One for All)』
・「後輩・年下とわかった途端、話し方が変わる(タメ口になる)

こういう“熱い人たち”とは正直合いません。苦手です。でも、実際に要所につき学校を動かしているのはこういう人たちが多いです。そして彼らは仲間や賛同者を増やすのが得意なので、おのずと学校全体に考えが浸透していく。

何が困るかというと、残業万歳の点も含めて、すべてが“精神論”なのです。
「少しの雨なら、体育の授業も休み時間の外遊びもやれる!」
「高学年の運動会の表現は、裸足でしょ!」

さらに困るのは、この“お熱い人たち”が管理職や指導主事になりたがること。これら“脳ミソ筋肉”の方々が上に立つと、その指示をもろに受ける現場が大変混乱します。
大雨や大雪のときの登下校も、たいていは“問題なし”として通常通りに行わせますし、今のコロナウイルスもものともしていないかもしれません。

個人的に、今上にいる“脳ミソ筋肉”のみなさんを総入れ替えしたら、現場が少しは変わる、と勝手に信じています。
I区とか、N区とか、H市も変わったらいいなぁ(ニヤリ)

管理職や指導主事だけでなく、文科相のお役人達も(会ったことはないけれど)同じ系統だと思います。

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👶💝“名前”に込められた想い

今回は少し教育現場の話やうつの話とは離れてしまうかもしれません。

私は担任したクラスでは必ず“名前の由来”を授業で取り上げます。
“自分の名前に込められた想い”を知ることで、親の願いやこれからの自分の生き方を考える、といったような授業です。
親の願いを実現できるように生きる、もよし。
私の場合は、30歳近くになってから、自分の名前には親の願いとはまた違った見方もできるのではないか、と考えるようになりました。

この授業を行ううえで問題となるのが、子どもの家庭環境です。
いちばん困ったのが“名付け親の父親が、離婚のために今はいない(名前の由来を聞くことができない)”というものでした。
年齢の節目(10歳など)で、自分の生い立ちを振り返る授業がよく行われたものですが、最近では複雑な家庭環境を慮ってそのような授業を行わないケースも出てきています。

また、近年よく話題になる『キラキラネーム』も高いハードルになります。漢字を見ただけでは読めない名前、一般的な読み方をしない名前、ただ“かわいいから・かっこいいから”とつけられた名前など、これらも名前の由来を授業で扱うのは難しいです。

さて今回は、キラキラネームを話題にしたいのではなく、最近のいろいろな「題名」についてです。
昔の歌や小説のタイトルは「告白」や「雪国」のように熟語であったり、「北の国から」や「東京ラブストーリー」のように短いフレーズであったりしました。

ところが最近は、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」や「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」のように、長い文章がタイトルになっているケースをよく見かけます。(ライトノベルの世界に多いように思われます)
また、そのような長いタイトルを「ダンまち」のように略すのもよく耳にします。略すことで呼びやすくなって親近感もわく、ということなのでしょうか。あと最近のアーティスト名は、曲のタイトルみたいなものも多く、どっちがアーティスト名でどっちが曲名なのかわからなくなるときも多々あります。(40代のおじさんの言い訳ですね)

私からすると、熟語のタイトルは“どんな意味なんだろう?”“どんな小説なんだろう?”と購読意欲がわくのですが、長すぎるタイトルだと“何が言いたいんだろう?”という疑問の方が先にたってしまいます。(余談ですが、かつてB'zが「愛のままにわがままに僕はきみだけを傷つけない」という曲を出したときには唖然としたものですが)

タイトルに良し悪しなどはないのはわかっていますが、短い言葉に深い意味を込めた名前・タイトルが戻ってきてほしいなぁと思っています。

以上、教育現場ともうつとも関係のないつぶやきでした。

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👩‍⚕️よい精神科医は、薬に勝る☆

病気休職をとるには、医師の診断書が必要です。
私も過去3回とも、精神科やメンタルクリニックを受診し、「うつ病」「抑うつ状態」「適応障害」の診断書をいただき、職場に送付しました。

2回目の病気休職をとるとき、当時住んでいた都内のメンタルクリニックに行って診断書を書いてもらいました。
それを職場に送付してから、校長から電話がありました。「こちらが指定する病院に行ってほしい」という内容でした。
「届いた診断書が無効とは言わないが、◯◯病院でまた診断書をもらってくれ」と。理由は「この病院なら私(校長)も連絡を取りやすいから」
校長が指定してきた病院は、「都の教員ならここ!」と、都で働く教員なら名前は聞いたことがあるようなところで、実際に東京都教職員組合などと深い繋がりのある病院です。
校長が指定した病院を仮に『八倉病院』と呼びましょうか。(結果として、この八倉病院でY先生に出会えたことで、今の自分の状態があることは事実です。)

私が診断書をいただいた病院は、1回目の病気休職のときから通っていて、先生とも信頼関係が築かれていて、とても通いやすかったので、この指示はとても納得がいかず、残念なものでした。
私は病気休職から復帰訓練、職場復帰までこの八倉病院に通いました。
職場復帰した時点でも、八倉病院から元の病院に戻そうとは考えませんでした。校長はまだ連絡の取りやすさを重視していると考えたからでもあり、私自身としても八倉病院のY先生と良好な信頼関係を築けていたからです。

ところが、復帰してから1年ほど経ったある日、八倉病院に通うための時間と交通費のことで校長に相談しに行ったら、「もう八倉病院でなくてよいのだよ。地元の近い病院で、同じ薬を処方してもらえばいい」と掌を返したように言うのです。
こちらは、校長の指示で転院までしたのに、“もう変えてもよい”と言われても。

校長は、うつというものをまったく理解していない。恐らく今まで鬱で休んだ教員がいなかったのでしょう。
うつは、同じ薬さえもらえればよいというものではありません。信頼のおける医師のもとに通い、心の内を話し、アドバイスをいただくことでよくなっていくもの。
それを「病院はどこでもいいから、同じ薬をもらえばよい」というのは間違っています!

校長の無理解を嘆くとともに、うつで悩む先生方には、信頼のできる医師との出会いを望んでいます。うつの治療は薬以上に、よい精神科医との出会いが鍵だと思うのです。たくさんの病院に通うことになるかもしれませんが、『よい精神科医は、薬に勝る☆』と思います。

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💯テストの点数だけで、人は評価できない!

教員として、毎日授業をし、テストをし、学期ごとに「通知表」を作成する身としていつも思うこと、それは“テストだけでは評価できない”ということです。
もちろん、テストの点数は評価をするうえでとても分かりやすい指標です。点数によって「よくできる」「できる」「もう少し」のような評価を出す割合は決して低くはありません。

でも思うのです。点数だけではなく、日々の授業の態度・意欲・発言・記述などで見えるものもたくさんあるのです。それらはテストの点数のように数値化できないので、見取るのも伝えるのもとても難しいです。

私は通知表を子どもに渡す前に必ず言うことがあります。
「“よくできる”や“できる”がすべてではない。
むしろ見てほしいのは先生からのメッセージ(所見)です。でもここには書ききれないので、メッセージを読みながら、授業中に先生に言われたことや誉められたこと、注意されたことも思い出してください
所見というのは、担任から見て子どもが頑張ったことや成長したことなどを言葉で表したものです。昔は手書きでしたが、最近はパソコンで入力することも多くなり、逆に文字数制限があります。現任校ではだいたい130字くらいまでです。
この文字数では子どもの成長などを書ききれないのです。

さて、通知表の話をまずしましたが、ここからは“教員に対する校長からの評価”です。
学期に一回ずつ『授業観察』『自己申告面接』が行われます。1時間の授業を管理職が見に来て、それも踏まえて面談をし、年度末には校長からA・B・Cの評価が出されます。
しかし、学期に一度、年に三度の授業観察だけで、授業力や学級経営力を評価されたらたまったものではありませんし、それだけで評価できるはずもありません。テストの点数だけで評価されてしまうのと同じです。
校長によっては、授業観察に限らずよく校内を回って、授業の様子や子どもとの関わり方、掲示物などを見て評価の材料としますが、現任校の校長はめったに教室を見に来ません。
それで「君の授業力はCだ」とでも言われたら、評価の根拠に大いに疑問が残ります。

ほんの一部だけで人を評価してはいけない、逆に言うと全部を見なければ正しい評価はできないということ。でも、全教員の全授業を見るのが不可能なこともわかっています。
せめて、学期に一度だけの観察で評価はしてほしくない、と切に思います。

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👔校長は、職員の担任である!

私が今回病気休職をとった背景には、もちろん保護者からの言動もありましたが、それだけでなく“管理職の対応”も大きな要因だったと思っています。

病気休職に入ってから、校長から何度か電話がありました。案の定、手続き的な話や、杓子定規な事務的な話。
「すぐに病院に行って診断書をもらって、学校に送ってほしい。病気休職の申請をしなければいけないから」ーーこれならまだわかります。必要なんですもんね。

2本目の電話では、
10月1日付けで在籍(勤務)していれば、異動の対象になる。異動を希望しているのなら10月1日には復帰する必要がある」ーーそれもわかっています。でも、そんなに簡単に戻れないんですよ。今の率直な気持ちを言うと「戻りたくない」なんです。

電話を切ったあとに思ったんです。
自分のこの心の状態を改善する方法は、異動することだけなの?
“つまり、自分がうつ状態になっていることについて、校長は原因が何かとか、職場の雰囲気に問題があるのではとか、少しも考えてくれてないってこと?”

たかが一人の教員のために職場を変えるなんてこと、あり得ない!とおっしゃる方もいるかもしれませんね。
でも思い出してください。
私は、持ち物が揃わない子ども1人のために、“忘れたものは貸しません”というスタンスを曲げられたのです。
そして相手の言うとおりに謝罪文まで書きました。
“たった1人のために”です。

ここで今日のタイトル。
ーー『校長は、職員の担任である』ーー
ここからはあくまで私の個人的な考えです。
校長は、学校運営をすることはもちろんですが、職員(職員室)の担任であるべきだと思っています。

職員室の雰囲気はどうか(これはクラスの雰囲気を気にかける学級担任と同じ)
職員の健康状態は、精神的な面も含めてどうか。
(これも毎日の健康観察やメンタルケアをする学級担任と同じ)
学級担任がクラスの雰囲気の悪い変化に気付いたら、子どもに不登校傾向が見られたら、手を打つのが当然です。
ところが現任校の校長は、一職員がうつになっても、病気休職になっても、職場に不満を持っていたとしても、「異動すればいいんじゃない?」としか思っていないということでしょうか!
そんな職場には戻りたくありません。

校長はかつてこう言っていました。
「自分は子どもと上手くいかなくて管理職になった」と。そういう管理職は少なくないと思います。子どもが好きで、子どもと上手くやっていけていれば、教室(担任)から離れる選択肢などありません。
偏見かもしれませんが、管理職の多くは教室で上手くいかなかった人たちではないでしょうか。
では、そんな人たちが“管理職には向いているか?”というと、それも違うと思います。

前述の通り、『校長は、職員の担任である』からです。職員・職場全体を教室のように見渡し、問題を見つければ改善していく。それができずに、うつの改善を“異動”に求めるのはいかがなものでしょうか?

また長くなりましたね。熱くなってしまったかもしれません。
次回もこの話を続けたいと思います。
具体的には、管理職が我々教員を評価する「自己申告書」についてです。

【追記】
後日、この校長に手紙で「職員(室)の担任は校長ではないか?」と問いただしたところ、「職員(室)の担任は副校長だと思っている」との回答がありました。
これまた残念な答え。
では校長は校長として、学校の何を日々見ているというのでしょうか?
職員室は副校長に任せ、教室にも年に3回の“授業観察”以外には見に来ない。

意外に(いや、予想通り?)子どもとかかわるのが苦手なのでは?
また、職員が日々立ち向かっている苦労やトラブルから目を背けているのでは?
そんなふうに邪推してしまいます。

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💡“自動”は児童によろしくない

前回は、嫌いなものは何でも退ける「何でもブロック」についてお話ししました。
今回は「何でもオート」

身の回りには数多くの「自動◯◯」があります。
ドア・水道・石鹸・アルコール消毒・改札機・販売機・トイレ・お風呂……。さすがに学校には「自動◯◯」はほとんどないですが、子どもたちの生活は確実にオート化されています。
学校にある「自動◯◯」は、私の赴任先だけで思い浮かべるなら、手を差し出せば水が出る水道とか、離れれば水が流れる男子用トイレくらいでしょうか。

でも、子どもたちはたくさんの「自動◯◯」 を知っているので、生活のいろいろな場面で自動化に対する本音を漏らします。
「なんで石鹸は自動じゃないの?」
「階段は疲れるからエスカレーターがいい」など。
慣れてしまっているので仕方ないのですが、さすがに子どものうちから、しかも学校ではそんなに自動のものはありません。

でも“自動”って、いざというとき困るんですよね。
いちばん分かりやすいのが停電の時です。
自動ドアが止まったら?
エスカレーターやエレベーターが止まったら?
用を足したあとのトイレはどうやって流す?
ほんと、電気がないとほとんどが動かなくなる社会ですよね。
オート化や便利さが悪いわけではありませんが、電気がなくてもできることや不便さも知っておくことはとても大切です。

そこで、主に3年生では“昔の道具”について学習します。
炭で温めるアイロン、
洗濯板での洗濯、
井戸から汲む水……
不便な思いをしたからこそ、便利さに憧れ、便利さを追求していろいろなアイデアや発明を生み出すのだと思います。

生まれたときからすべてが便利で“自動”に慣れている子どもたちは、“手動”を面倒だと感じて敬遠します。個人的には、便利なものを使うときには「昔はどうしていたと思う?」と、昔の人の面倒や手間に子どもたちの考えを巡らせるようにしています。

最近では、“考えること”も自動化・機械化され、『AI』が広がり始めていますが、個人的な意見ではAIが人間の思考を上回ることはないのではないか、と考えています。ましてや人間同士に起こるトラブルや、それにまつわる“心の悩み”を、AIが感じることはないのではないかと。

便利さと共に不便さを。
機械のよさと共に、人間のよさも伝えていきたいと、日々感じています。

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😩好かぬなら、どうすればいいの? ホトトギスさん!

前回の“忘れ物”に続き、今回の悩みは“好き嫌い”です。
好き嫌いにもいろいろあって、給食の献立や体育・音楽などの教科、友達関係などです。

まず食べ物の好き嫌い。
最近、食物アレルギーをもつ子どもが非常に増えていて、献立を作る栄養士は大変そうです!
毎月の献立を作るたびに、アレルギー対象の児童をピックアップし、アレルゲンが入っているメニューは出さず、代替えを用意(家庭or学校)する「全部除去」や、アレルゲンだけを抜いて替わりの材料でほぼ同じメニューを作る「一部除去」など対応は様々。
たかがアレルギー、ではなくアナフィラキシーも含めて命に関わることですから保護者も栄養士も真剣です!
この“アレルギー”には該当しないけれど、「苦手」とか「嫌い」と言って食べようとしない児童も数多くいます。長年みていると、好き嫌いというよりは「あまり口にしたことがない」という“慣れの不足”という側面も多いように思います。
そこで「食べなくてもいいですか?」「残してもいいですか?」と聞いてきます。
私は、アレルギーでなければ「一口でも食べると、栄養バランス的にもいいね」と言って一口は食べさせようとしています。
ところが昨今、“先生に無理矢理食べさせられた”的な訴えを受ける危険性もあって、給食指導も冷や汗モノです。

次に授業の“教科”。
国語嫌い・算数嫌いは全般的にいますが、特に好き嫌いが顕著に出るのは図工・音楽・体育(プール)です。
“絵がうまく描けない”
“リコーダーが上手く吹けない”
“足が遅い”“外は暑い”“泳げない”などの理由で、教科そのものを嫌いになる子も多いですよね。
生まれもった特性もあるので、上手にやれとは決して言いませんが、困るのは「プール休み」です。
泳げない子や水が苦手な子、着替えそのものが嫌な子は「おなかが痛いから」などの理由でプールを見学することがしばしばあります。
プールに入るには『プールカード』に保護者のサイン(押印)が必要で、保護者も子どもの気持ちを知ってなのか、“見学”を希望してきます。
この問題も、無理矢理には入れ、とは言えず悩みどころです。

次は“友達関係”。
以前“◯◯くんとは同じクラスにしないでくれ”という保護者からの要望を紹介しましたが、子どもだって同じ考えをもっている子がいます。
たとえば席替えで苦手な子と隣になると、イヤだイヤだと騒いだり。
体育で苦手な子と同じチームになるとらイヤだ負けると騒いだり。
学校では、苦手なもの・人とどう向き合い付き合っていくかを学ぶのも大切!
嫌なものから逃げ続けていては、いざ困難にぶち当たったときにも立ち向かう強さが身に付きません。

このように、最近は“好き嫌い”がもとで、嫌なものから逃げる、もしくは嫌なものを遠ざける姿勢がよく見られます。
子どもは困ったものだ、と思いきや、大人の世界にも嫌なものを遠ざける仕組みや機能があります。
メールやL◯NEなどのSNSにおける『ブロック』『フィルター』機能です。
もともとは“迷惑メール”なるものをシャットアウトするための機能、という記憶でしたが、気がつけば“この人とは交信・交流しない”という側面も持ち合わせるようになりました。

心地よいものばかりに囲まれて過ごすことの弊害は、大人子ども関係なく存在するような気がします。
嫌いなものと付き合うには…
『好かぬなら どうすればいいの? ホトトギス

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😤じゃあ「教育」って何? ~病気休職その3️⃣

さて、だいぶ前に「3度目の病気休職となりました」ということはご報告したのですが、その詳しいところはまだお話ししていませんでしたね。
ようやく気持ちの整理も多少ですができてきたので、お話ししていきますね。

子どもが忘れ物をしたーーー
そんな時、どうしますか?

もちろん「注意する」というのは一番多い答えかと知れませんが、もっと聞きたいのは“忘れたものを貸すか・貸さないか”です。
私は(良いか悪いかはちょっと置いておいて)貸さない、というスタンスをとっています。理由はといえば、「忘れ物をして困ることも大事」それと「貸したら(貸しても)また忘れるんじゃないか」という思い。どちらにも賛成・反対はあると思いますし、正解はないのかもしれませんね。

さて、担任していたクラスの子どもに、いつも「消しゴムがない」「ハサミがない」と言って、なかなか持ち物が揃わない子がいました。図工の材料などは特別な持ち物なので忘れてしまう子のことも考えて余分に準備しておくこともあります。
ところが日常的に使う消しゴムやらハサミやらを毎度貸すわけにはいかず、「明日はちゃんと持ってくるんだよ」と言い、必要に応じて連絡帳で保護者にも伝えます(この時点で親が気付いて用意してくれれば済む話なのですが)。
この子が算数の「円」の学習の時になかなかコンパスを持ってきませんでした。円の学習でコンパスは必須ですよね。ところが待てど暮らせど持ってこない。さすがにテストの時には貸さないと問題が解けないわけですから貸しました。
今思えば、授業の時から貸していないといけなかったのかな、とも思います。

ある朝、この子の保護者から電話が。
「うちの子の算数のテスト、見たよね?」
いきなりのタメ語。担任だから見るどころか採点したのも私です。
「10点ですよ!どんな授業してたんですか?」
「………」ここですでに、私の思考は停止しました。
うつ病の治療中であることもあり、突然の出来事やあまりの剣幕に遭遇するとストップしてしまうのです。
「それとうちの子、コンパス持っていってないよね?」
“知っているなら持たせてよ、お母さん”
「なんで貸してくれなかったんだよ?」
「テストの時も貸してくれなかったんだよね?」

“いえ、テストの時だけはさすがに貸しました”
その言葉が口から出てこない。フリーズ。
「なんで黙ってるんだよ!」
「担任替わってよ!」
「話のわかる人に電話替わって!」

なおも(いや、なおさら)フリーズ。
言われるがままに管理職に頼んで電話を替わってもらいました。

これだけでも私の気持ちが相当落ちたのは想像していただけるかと思います。
でも、このこと“だけ”で仕事を休もうと思ったのではありません。
この日の放課後。校長室に呼ばれました。
相手が電話でどんなことを訴えてきたのか、話されました。「反省文を書かせろ」とも言ったそうです。
そのあとの校長の言葉・考え方に衝撃を受けました。
「まずは“貸してあげなさい”」
でも、私は根拠をもって貸さないスタンスで…
「そういう子は、今困らなくても、大人になって困るからいいんだよ」
“!!?”
それから「謝罪の手紙を書くように」とも。
校長は決して口にはしませんでしたが、本音は“この親とトラブルを起こすな・トラブルを広げるな”という気持ちだったのでしょう。

コンパスも貸す・反省文も書く。
これでは向こうの言いなりではないですか。
自分を正当化するつもりではありませんが、相手方にも考えてもらう必要があるのではないでしょうか?また、担任からは無理でも校長として保護者に伝えられることがあったのではないでしょうか?
たとえば「お母さん、担任にも指導しておきますが、“ぜひ持ち物をお子さんと一緒に確認してくださいね”」とか。
では、忘れ物をした子どもに対しての“教育”“しつけ”はどうすればよいのでしょうか?

結局、校長はこのトラブルから一歩退いたところにしかいなかったのです。
話しは少しずれるかもしれませんが、初任校の校長先生の口癖は「何かあったら俺に替われ。俺が前に出て戦うから」でした。
この日、初任校の校長先生を思い出したのは無理からぬことだったのはご理解いただけるでしょう。

とんでもない保護者対応、そしてそれにまつわる管理職の考え・指示に愕然としたのです。
この3日後、私は休職を懇願したのでした。

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