最近、教育界に限らず、世間でも「◯◯力」という言葉がよく聞かれますよね。
「女子力」「人間力」……いろんな「力」があって、それぞれがはたしてどんな力なのかがよくわかりません(私は)。
学校現場でもいろいろな「◯◯力」があります。「学力」「理解力」「読解力」「指導力」「授業力」……。「指導力」と「授業力」ってどう違うんでしょう?
最近では、子どもに「学力だけを身に付けさせるのはダメだ」「“考える力”を身に付けさせなければ」(考える力が弱くなっている、というのは一理ありますが。)
昔の学校では「三角形の面積の公式は『底辺×高さ÷2』。覚えなさい」的な“教え込み型”でしたが、最近の算数では「持っている知識を使って、三角形の面積の公式を考えよう」と問いかけます。
教師側の理想では、
「四角形の面積は“たて×よこ”だから、それを半分に切ったのが三角形。だから、“底辺×高さ÷2”です」というふうにたどり着いてほしい。ところが、子どもたちには“考えるための力=四角形の面積の公式”も身に付いていない子もいるのです。さらに言えば、3年生以上になっても九九がすらすらと唱えられない子も。
そんな状態の子どもたちに「さぁ、三角形の面積の公式を、今までの勉強を活用して“考えよう”」と言っても、ちんぷんかんぷんな子どもも少なくありません。
“考える力”を身に付けさせるのはもちろん大切なことですが、そのためには“考えるための力=基礎学力”の定着が必須です。
今の教育は、そこが抜けているように思えてなりません。
昔は、公式をはじめに教わって、あとはひたすら計算練習の日々でした。たしかに公式を“詰め込んだだけ”かもしれませんが、計算練習に時間を多くとっていたために、おのずと公式は頭に入り、計算も正しくできるようになりました。
でも今は、公式を考えることに時間を費やすあまり、計算練習の時間はあまり多くとれません。(もちろん、授業や宿題で問題数を多くこなせた子は定着するのでしょうが。全員が家庭学習の習慣が身に付いているとは言い切れません。)
学習に限らず、“基礎・基本”のうえに“応用”が成り立つはずですが、今の教育は“基礎・基本”が未熟な子にいきなり“応用”を求めているような気がします。
最近では、英語やプログラミング学習を取り入れる傾向がありますが、日本語が未熟な子に英語を教えたり、スマホは使えるけれどパソコンは使えない子にプログラミングを教えることは、いきなり“応用”を教えていることにならないでしょうか。
様々な教化や領域が増えてきた今、もう一度昔のシンプルな教育のよさを振り返ってもいいのではないか、と考えています。
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