“てんちょ先生”のひとりごと

現職教員が伝える、現場のあれこれ!

心のポエム

最近、本を読んでいてとても良い文章に出逢えたので、ここに記しておきます。

今の自分の気持ちにピッタリの文章でした☆

 

出典はあえて示しません。

いつかどこかでこの文章に出会える日のために…☆

 

田園を眺めていてふと頭をよぎったのは故郷・山梨の両親のことだ。だだっ広く小高い岡の上の家。そこで父は今でも毎晩、仏前で正座をして、「純粋に努力すること以上に    秀でるものなし」と呟いているのだろうか。

 

母は卓袱台の前で縫い物をしているのだろうか。正直なこと、こつこつと努力を続けることほど、大切なものはない。両親はよくそう言っていたものだ。

真面目に、純粋に生きて、何が悪い。

💌この想い、伝えたい!

 

今まで不定期ながらも更新を続けてきたブログですが、“50記事に到達したら書こう”と思っていた想いがあります。それは、

【このブログを本にしたい!】

【書籍化して、たくさんの人に伝えたい!】

というものです。

元々、「本を書きたい」という気持ちもあり、作家・佐々木譲さんが好きということもあり、以前から本の出版に関心がありました。

このブログを始めたのも、自分の思いを聞いてほしい・伝えたい、現場のことをたくさんの人に知ってほしい、という想いからでした。

まだ閲覧数も1000を越えた程度。たいして注目もされていないブログですが、書籍化してたくさんの人に伝えられたら…という願望があります。

かといって、本を出版するための基礎知識もノウハウもありません。

どなたか、このブログに目を留めてくださった方の中に、出版・書籍化にお詳しい方はいらっしゃらないでしょうか?願わくば、出版社・編集者の方の目に留まっていただけたらなぁと、夢想する私です。

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

🙋‍♂️🙋‍♀️“昔の自分”に会うために

このブログをきっかけに、かつて親交のあったひとたちと再び連絡を取り合うようになったケースがいくつもあります。

「ひさしぶり~♪」

「ブログ、読んだよ」

「最近はどう?」


f:id:tencho-sensei:20210309113955j:image

 

そのうちの一人は、かつて卒業生として送り出した教え子「さおり(仮名)」でした。

さおりとは夜までLINEで近況を話し続け、そのうち「近々会えたら会おう!」ということになりました。

11年ぶりの再会。LINEでは伝えきれなかった話がお互いにあったことでしょう。

LINEのアイコンで、大人になった姿は見れたけれど、実際に会ってみたら?声はどんなふうに変わっただろう?

 

そんなふうに再会を心待ちにし、再会まであと半月くらいのある日、病気休職による運動不足や薬の服用などによる自分の体型の変化に今さらながら気づきました!

“こんなおなかじゃ、さおりに会えない”

そう思って、運動を始めようと思いました。

 

でも実際何をしよう!?

娘が夢中になっている縄跳びにも挑戦しましたが、運動不足と日頃の喫煙習慣のせいか、すぐに心臓がバクバク!これでは何日も続かない!

そこで、筋トレでも縄跳びでもランニングでもなく、“ウォーキング”を始めることにしました。

目標は、毎日でなくてもよいから、起きれた朝にはやる!という感じ。

歩く距離も、最初は近所のガソリンスタンドまでを往復する約1kmから始めました。


f:id:tencho-sensei:20210309114118j:image

 

さおりに会うまでの半月、そして現在もウォーキングはコツコツ続けています。

週が変わると、少しだけ歩くコースを伸ばしたり変えたり。勝手知ったる地元だけに、様々な道を歩いて気分を変えたり距離を少しずつ伸ばしたりするようにしました。

 

この記事を書いている2021年3月現在、3.5km・約40分くらいのウォーキングをしています。歩きながら「来週はどの道を歩こうか」とある考えるのも楽しみのひとつです。

 

結果として、さおりに会ったときに体型が激変することはありませんでしたし、いまだに体重や腹囲などはあまり変わってはいませんが、“何かを続けること”“健康によいこと”を目標に、楽しみながら歩けています。

 

次回は、さおりと再会したことで気づけたことをお伝えしたいと思います。

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

✅✔️☑️“タスク”ではなく“目標日課”を!

毎朝の起床など、“当たり前”のことができるようになり、今度は「できることからやってみよう」という気持ちをもつようにしました。

私がやろうとしたのは“家事”です。

休職して家でゴロゴロばかりしてはいられません。そんなことをしていたら、ただでさえ“仕事を休んでいる”という負い目を感じている自分がもっと嫌になってしまう。

家にいるならせめて家のため・家族(妻)のためにできることはないか?そこで、できる範囲での家事をしようと思いました。


f:id:tencho-sensei:20210228230049j:image

私の“ベスト・ルーティン”は次の通り。

・娘を幼稚園に(途中まで)送って帰宅したら、風呂の栓を抜く

布団を畳み、押し入れに入れる

・空になった風呂を洗う

・朝食の皿を洗う

(先に風呂を洗うことでシャワーが温水になり、お皿洗いをお湯でできます◎)

・週に2回は掃除機をかける

☆のんびり・好きなことをして過ごす♪

(これも大事!)

・娘が帰宅する頃に家を空ける

(仕事をしているというカムフラージュ)

・寝室に布団を敷き、加湿器の水を満タンにする

・風呂を予約、もしくは入浴時間の前に風呂スイッチON

・娘の髪にドライヤーをする

・夕飯の食器を洗う

歯磨きの準備をする

寝室のヒーターをつけておく


f:id:tencho-sensei:20210228230058j:image

こうやって挙げてみると多く感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、あくまで“ベスト・ルーティン”であって日課(タスク)”ではありません。

調子の悪い日はできないことがあったり、まったくできない日もあります。最大の理解者である妻も、できなかったことを咎めることは一切ありません。(感謝☆)

 

できたらはなまる◎

できなかったら、自分の心身に正直に休む。

さきほども書きましたが、これを“タスク(やらねばならぬこと)”にしてしまっては、心が重くなり、できなかった日はさらにへこみます。

だから、“できたらよし”の“目標日課とするのがいいと思います。


f:id:tencho-sensei:20210228230258j:image

こうやって、日々“目標日課”をしていくことで、できることが増えてきます。“ベスト・ルーティン”の日が増えると、気持ちも充実してきます↑

うつになると、どうしても自己肯定感が低くなったり、“自分は役に立たない”という自己嫌悪に陥りがちです。

でも、ルーティンをこなしていけると“自分も少しは役に立てた”“できることが増えた”と自信も湧いてきます☆


f:id:tencho-sensei:20210228230223j:image

うつで苦しんでいる方がいらしたら、まずは1つから“目標日課”を作ってみてはいかがでしょうか?

目標は小さくていいと思います。

朝起きることから、カーテンを開けるでも、カレンダーをめくるでも、新聞を取りに行くでもなんでも◎

 

ルーティンが軌道に乗り出した私は、次の目標ももてるようになりました☆

そのきっかけは、かつての教え子がもたらしてくれたもの…☆

それは次回お話ししますね☆

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

🔰🌅“当たり前に挑戦”しよう!

うつになると、今まで当たり前だったことがまったくできなくなります。

仕事はおろか、好きだった趣味も、人と会ったり話したりすることも、毎日の食事も、朝起きることすらも。

そして、そんな“できない自分”に劣等感や負い目を感じてふさぎこむ…。その繰り返し。

 

そこで私はまず、“当たり前のこと”をできることを目標にしました。

(注:これは療養が進んだ段階から始めたことですので、まだうつ症状に苛まれている方は無理せず、後々の参考程度に考えてくださいね◎)


f:id:tencho-sensei:20210226180949j:image

まずは、普通の(今までに近い)生活リズムを取り戻すことから始めました。

はじめは、『朝、起きること』

私には幼稚園に通う娘がいまして、そろそろいろいろなことが理解できるようになってきたので、朝起きられないと「お父さん、今日はどうしたの?」「お仕事、間に合うのかなぁ」と心配もかけます。

だから、朝起きて、家族で朝食をとり、娘と一緒に家を出る。手ぶらでは不自然なので、仕事に行くのと同じ格好(仕事カバンを持つなど)で出ます。

娘に「いってらっしゃい」を言ってから、駅方面へ歩く。ある程度歩いたら、家に戻る。

あとは家で過ごす。こんなところから始めました。

 

はじめは、起きられない日もありました。そこで「あぁ、起きられなかった」とへこんでしまわないように気をつけました。それを助けてくれたのは妻です。

私が起きられなくても「できる日だけでいいんじゃない?」と言ってくれたり、「お父さんは今日風邪っぽいから」と娘に説明してくれたり。そんな妻が、私のがんばりを支え、ハードルを低くしてくれました。


f:id:tencho-sensei:20210226181310j:image

そんなふうに、小さな当たり前から始めて、少しずつ慣れてくると次の目標が見えてきます。

次回は、次の段階・目標についてお話ししますね☆


f:id:tencho-sensei:20210226181343j:image

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

😃“前向き”の1年間♪

ここ1ヶ月くらい、症状が落ち着いてきているのか、はたまた溜まっていた職場への不満を言い切ってしまったのか、まったくブログを更新していませんでした。

久々に更新する気持ちになったのは、あと1年間休職を延長することを決めたからかもしれません。

 

ここ数ヵ月の通院は、職場との闘いでもありました。

10月の通院時には、職場から「12月以降も休むかどうか決めてきてほしい」と言われていました。その頃の私の正直な気持ちは“2ヶ月後のことを今判断するのは難しい”でした。あと2ヶ月療養すれば復帰できるかは、正直2ヶ月経ってみないとわかりません。

でも、そんなことでは職場が困るのもわかっています。休みを延長するなら今の職場体制のまま、復帰するとなれば人員配置等を考え直さなくてはいけないのですから。

 

12月いっぱい休むための診断書を提出したのも束の間、次の11月の通院時には「1月からはどうか?」、12月の通院時には「4月以降(来年度)はどうするのか、返答がほしい」と言われました。

“え!?この間、診断書をもらったばかりなのに…”

休職延長の判断・役所への書類の提出期限との追いかけっこでした。

 


f:id:tencho-sensei:20210225140553j:image

 

1月末の通院までに、家族ともよく話し合いました。そして、1月末に“来年度、もう1年間休む”ことを決めました。

 

そう決めた理由はいくつかありました。

ひとつは、まだ職場に復帰できるだけの精神状態に戻っていないこと。“出勤・労働”という意味での仕事ならできそうな気がしましたが、教育現場に戻り、担任に戻り、再び授業や保護者対応をしていける自信がまだありませんでした。

正直に言うと、かの校長のもとに戻ることにも拒絶反応がありました。

 

もう1つの理由は、“前を向いて1年間を過ごそう”と決めたからです。

前述の通り、今までの休職期間は職場との追いかけっこであり、今の自分のことしか考える余裕もなく、一月先のことも見据えられない“下向き”の日々でした。

 

でも、“1年しっかり休む!”“1年後には復帰しよう!”という目標をもった状態になれれば、その1年間を有意義に過ごせるのでは、と考えました。

 

これからの1年間、復帰のことばかり考えるのではなく、“復帰できる自分にもっていく”ための1年間と考えて過ごそうと思います。

これからのブログでは、「こんなふうに過ごしています」「こんなふうに考えられるようになりました」など、“前向き”なご報告をしていけるかもしれません。

 


f:id:tencho-sensei:20210225140247j:image

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

😧もしかして“新型うつ”!?

現在も含めて、計3回の病気休暇をとりましたが、今回の病気休暇は過去2回のそれとは少し違っています。

過去2回は、過重な仕事を任されてどうしようもなくなったり、新しい職場に適応できなかったりして、気分が落ち込んで何もできなくなった、まさに“うつ状態”でした。

ところが今回は、何もできないということもなく、むしろ別の部分のエネルギーはもっています。どんなエネルギーかというと、校長や職場の問題を相手に直接話したり、他の人に話したりできます。悪く言うと、“人を責める”“人のせいにする”傾向があります。

 

そんな私の様子を見てか、「“新型うつ”なのではないか?」と指摘を受けたことがあります。一般的なうつと“新型うつ”とではどこが違うのでしょうか?

 

調べてみると、一般的なうつは「定型うつ」、新型うつを「非定型うつ」と呼ぶのだそうです。

その違いがよくわかる表があったので紹介します。


f:id:tencho-sensei:20201023114941j:image

この表を見て、私がハッとした項目は、

・良いことがあると、気分もよくなる

・好きなことに対しては、

    活動する元気が出てくる

・過眠の傾向がある

・他人を責める

・衝動性、いらいらが出現   です。

落ち込んで何も手がつかない、ということはなく、自分の好きなことや自分の考えを表に出すことはできます。(このブログもそうですね)

また、夜は寝付きが悪かったり途中で目覚めてしまったりしますが、その反動なのか朝昼になるとボーッとして眠り込んでしまうことがあります。

また先ほどもお話ししたように、いらいらして人を責める傾向があります。

 

私は精神科医ではないので、この表に書いてあること以上のことは詳しく書けませんが、自分が何となく“新型うつ”にあてはまるのではないか、ということはわかりました。

これも医師に聞かなければわからないことですが、もし“新型うつ”だったとしたら治療のアプローチや薬の処方も変わるのかなぁ、とも思っています。

はたして自分はどのタイプのうつなのか。

それは今後、医師とよく話して診断してもらうことなのでしょう。


f:id:tencho-sensei:20201023120013j:image

このブログを読んでくださっている人の中で、うつに苦しんでいる方がいらしたら、ぜひこの“新型うつ”というものがあるということも参考になさってはいかがでしょうか。

もしかしたら、新しい治療・快復の道が開かれるかもしれませんね☆

 

【参考】


f:id:tencho-sensei:20201023120031j:image

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

🤔💡🙄「考える力」と「考える“ための”力」

最近、教育界に限らず、世間でも「◯◯力」という言葉がよく聞かれますよね。

「女子力」「人間力」……いろんな「力」があって、それぞれがはたしてどんな力なのかがよくわかりません(私は)。


f:id:tencho-sensei:20201014142919j:image

学校現場でもいろいろな「◯◯力」があります。「学力」「理解力」「読解力」「指導力」「授業力」……。指導力」と「授業力」ってどう違うんでしょう?

最近では、子どもに「学力だけを身に付けさせるのはダメだ」「“考える力”を身に付けさせなければ」(考える力が弱くなっている、というのは一理ありますが。)

昔の学校では「三角形の面積の公式は『底辺×高さ÷2』。覚えなさい」的な“教え込み型”でしたが、最近の算数では「持っている知識を使って、三角形の面積の公式を考えよう」と問いかけます。

教師側の理想では、

「四角形の面積は“たて×よこ”だから、それを半分に切ったのが三角形。だから、“底辺×高さ÷2”です」というふうにたどり着いてほしい。ところが、子どもたちには“考えるための力=四角形の面積の公式”も身に付いていない子もいるのです。さらに言えば、3年生以上になっても九九がすらすらと唱えられない子も。


f:id:tencho-sensei:20201014143048j:image

そんな状態の子どもたちに「さぁ、三角形の面積の公式を、今までの勉強を活用して“考えよう”」と言っても、ちんぷんかんぷんな子どもも少なくありません。

“考える力”を身に付けさせるのはもちろん大切なことですが、そのためには“考えるための力=基礎学力”の定着が必須です。

今の教育は、そこが抜けているように思えてなりません。


f:id:tencho-sensei:20201014143015j:image

昔は、公式をはじめに教わって、あとはひたすら計算練習の日々でした。たしかに公式を“詰め込んだだけ”かもしれませんが、計算練習に時間を多くとっていたために、おのずと公式は頭に入り、計算も正しくできるようになりました。

でも今は、公式を考えることに時間を費やすあまり、計算練習の時間はあまり多くとれません。(もちろん、授業や宿題で問題数を多くこなせた子は定着するのでしょうが。全員が家庭学習の習慣が身に付いているとは言い切れません。)

 

学習に限らず、“基礎・基本”のうえに“応用”が成り立つはずですが、今の教育は“基礎・基本”が未熟な子にいきなり“応用”を求めているような気がします。

最近では、英語やプログラミング学習を取り入れる傾向がありますが、日本語が未熟な子に英語を教えたり、スマホは使えるけれどパソコンは使えない子にプログラミングを教えることは、いきなり“応用”を教えていることにならないでしょうか。


f:id:tencho-sensei:20201014143200j:image

様々な教化や領域が増えてきた今、もう一度昔のシンプルな教育のよさを振り返ってもいいのではないか、と考えています。

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

🕺💃子の顔さらしは、親の“恥さらし”

「うわっ!うちのクラスの子が、T◯k T◯kに出てる!」

その一言が事の始まりでした。

ある日の休憩時間に、スマホをいじっていた同学年の同僚がそう言ったのです。

画面を見せてもらうと、見たことのある子ども2人が、公園らしき場所で踊っている動画でした。顔を隠すわけでもなく、後ろでは公園で遊ぶ他の子どもの姿も映っていました。

しかも、よーく見ると、電柱に住所が表示されていました。

これでは「私たちは◯◯区に住んでいる小学生です」と名乗っているようなもの。

 

さらに検索を進めたらしく、同僚は他の動画も見せてくれました。今度は公園ではなく自宅のような風景。踊っているのはさきほどの2人と同じ子ども。しかも今度は顔だけでなく名前を表す文字が画面を踊っている!


f:id:tencho-sensei:20201011000745j:image

同僚に聞くと(私はまったく詳しくないのですが)、この動画は“誰でも見られる”状態だそうで、方法によっては見られる人を限定することもできるそうですが、この子たちはその制限もかけていないとのこと。

これでは、学校側で必死に守ろうとしている個人情報(顔・住所・名前など)を世界中に知らしめていることになります。

たとえば高校生や大学生あたりが、親に内緒で動画をアップしているなら(良し悪しは別として)まだわかるのですが、これは小学生です!

 

さらに驚いたのは、次の動画を見せられた時です。

明らかに自宅とわかる場所で、親子2人が踊っている動画でした。この動画も視聴制限(といえばいいのかな?)がかけられておらず、顔もしっかりと映っています。

もうこれは、“親に内緒で”の世界を超えて、“親公認”で顔を世界に晒していることになります。


f:id:tencho-sensei:20201011000838j:image

きっとこの親は、世界中の人が見られるなんて知らないのでしょう。(知っているとしたら、自己顕示欲どころの話ではありません)

この、親の“無知”が、我が子をどんな危険にさらすことになるのかも理解していないことでしょう。

 

管理職にこの動画のことを話すと、「保護者会で注意してくれ」ということになり、学年全部の保護者(保護者会に参加した親に限りますが)を集めて、注意換気をしました。

こんな注意、学校がしなければいけないなんて。よく授業公開美に合わせて「セーフティ教室」というものを開いて、警察の協力のもと、SNSなどの危険を親にも伝える機会を設けていますが、SNSにどう関わるか・子どもにどこまで許すのかは、もはや学校側では手出しできない範囲です。


f:id:tencho-sensei:20201011000953j:image

親子の仲がいいことは悪いことではありませんが、親がまるで“子どもの友達”になって、同じ楽しみを共有し(ここまではいいのですが)、我が子を危険にさらしている現状には頭を抱えさせられます。

 

親への“躾”とまではいかなくても、親を100%信用する、というのも難しい時代になってきました。

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸

🧑👩親になる“覚悟”

前回は、食にまつわる“事故”についてお話ししました。

今回は、親の身勝手から起きた“事件”。


f:id:tencho-sensei:20201005144727j:image

最近、子どもを家や車の中に長期間置き去りにして死亡させるケースが多く報道されます。

「九州にいる男性に会いに、家に1週間以上放置した。リビングの扉はソファでふさいだ」

「子ども2人を車に置いていき、パンと水だけ置いて、母親は居酒屋を数件ハシゴし、最後は男性宅に昼間で居続けた。車の様子を見に戻った形跡はなし。母親は“持病で2時間ほどトイレに行っていた”と供述」

 

どちらも、親のわがまま・欲で起こった事件です。子どもを置いてまで済ませたい用件とは存在するのでしょうか?ましてや、ソファで塞がれたリビングや、エアコンの切れた(母親は「勝手に切れていた」と供述)車内に半日以上も放置するなど、過失では済まされません!

どちらの親も揃って言ったのが「死ぬとは思わなかった」という言葉。信じがたいものがあります。パンと水だけ与えておけば死なないとでも思ったのか。幼い子どもならトイレにも行きたくなったことでしょう(大人だって行きたくなります)。深夜の車内はどれだけ暗く寂しかったことでしょう。

 

この親たちにとって、子どもは“自分の欲を満たすためには邪魔な存在”でしかなかったのでしょう。

「飲みに行きたい」「遊びたい」

「男に会いたい」「自由な時間がほしい」

こんな欲のために子どもを見殺しにするような人は、はっきり言って“親としての自覚”が足りないのです。


f:id:tencho-sensei:20201005145106j:image

子どもが産まれて親になったら(妊娠中から親になる人も多くいますが)、大人としての欲は捨てる覚悟が必要になります。仕事・家事・育児に追われ、自分の時間などまったく取れない人が大半でしょう。それでも子どものためにできるだけの時間を費やそうとするのが本当の親ではないでしょうか?

 

それを、自分の時間欲しさに子どもを荷物のように置き去りにする。

この親たちは、どんな想いでおなかの中の赤ちゃんを育て、産み、育ててきたのでしょうか?

妊娠・出産には人それぞれ事情があるとは思いますが、事件を起こすような親たちは、まだ親になる覚悟ができる前に身籠ってしまったとしか思えません。

できちゃった婚」等を否定するつもりではありませんが、子どもが産まれる前から「お父さんとお母さんのところに早くおいで。まってるよ。」という気持ちでいられた夫婦なら、産まれてきてくれた子どもを“荷物扱い”するはずがありません。


f:id:tencho-sensei:20201005145202j:image

さて、今回この話題を書き始めたのは、学校現場でも保護者に対して同じような思いをもつことが少なからずあるからです。

正直、「この親、仕事ばかりに頭がいっていて、親になりきれてないんじゃないか?」「自分は働くだけ働いて、“子育ては学校でやるもの”と思っているんじゃないか?」と思うことがしばしばです。

そのような親の子に限って、持ち物や宿題忘れが多く、学習の理解も難しく、また親がよくクレームをつけてくる、という傾向があると感じるのは、私の偏見ではないと思います。


f:id:tencho-sensei:20201005145247j:image

親になってからは働くな・遊ぶなとは申しません。ただ、その優先順位と割合の問題ではないでしょうか。

共働きも増えていることで、朝早く仕事に出て夜遅くに帰ってくる親も増えています。そんな家庭(の子)の対応が大変であることも事実です。せめて家に帰ってからは“親”に戻って子どもと接してほしいと思います。


f:id:tencho-sensei:20201005145330j:image

はじめに挙げた事件がなくなるだけでなく、学校現場で苦しんでいる先生たちの一助になると信じています。

 

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます https://www.mercari.com/jp/u/912059273/

 

☆メルカリshopに
『てんちょの折り紙手芸』を
オープン致しました♪
→ #てんちょの折り紙手芸